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タイトル
新企画について


日本の音楽と舞踊の魅力を探る!

***舞台とHPが同時進行***
(有)オフイス拓主催公演
助成:(財)新日鐵文化財団

新企画の特徴 拓ライブラリー
レクチャー「ゆうらくの美考」
ちょっと幕間話

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新企画の特徴

◎「日本の音楽と舞踊の魅力を探る公演」シリーズ

伝統文化の特性を日本の音楽と舞踊の中から、毎回様々な切り口で探り、実演家、研究家をはじめ時にはユニークなゲストを迎え、観客共々その魅力を再発見していくシリーズ。

シリーズの特徴
1.踊るテーマを選んで、見る、聴く、学ぶ
 毎回、テーマを設定してそれに対応した曲目、舞踊、ゲストをセレクトします。舞台では踊る本人、園喜輔(そのきすけ)の解説と経験を楽しく披露しながら、生の演奏と踊りを見てもらいます。ホームページでも、それを画面などで見、聴き、学んでもらいます。

2.多彩なゲスト講師が登場!
 踊りをエンターティメントするための『レクチャー』と実演で、邦楽邦舞に関係する人は、もちろん、初心者にも興味深く楽しんでもらいます。レクチャーのゲストは、テーマに合わせた、舞踊家、評論家、演奏家、芸能人をはじめ各界のあんな人、こんな人が登場。園喜輔とゲストのおしゃべりをこのページでも中継します、乞うご期待!

3.あなたはネットで参加?!観客で参加?!

「園喜輔の日本舞踊ワールド」のホームページ上で、このシリーズを同時掲載し、全国の興味ある人とネットを結んで、対話していきます。たとえば、公演前でも、こんな事を聴きたいと質問をもらうと、『レクチャー』であなたの質問が話題になるのです。公演前も後も、このホームページを通じて、質問や要望、議論,アンケートなど展開できます。園喜輔と話をしながら、日本舞踊の輪を広げられればと考えています。

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拓ライブラリー
レクチャー「ゆうらくの美考」

アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.25

      ゆうらくの美〜ファイナルステージは芸に遊ぶ〜
     
レクチュア「ゆうらくの美考」その4

平成22年12月3日(金)
紀尾井小ホール

「ゆうらく考」

聞き手 花柳園喜輔

ゲスト 杉 昌郎(集団日本の音主宰)
    藤舎呂船(囃子演奏家)

左から 藤舎呂船、杉 昌郎、花柳園喜輔
中央 花柳園喜輔、右 藤舎呂船
 今日の「北州」の場合は、吉原の四季を唄っております。これ、作詞をいたしましたのが大田南畝という人でして、大田 蜀山人とも申します。これは大田金貸しと申しまして、なんとなんと徳川幕府の勘定方の奉行なんですよ。勤めてた人なんです よ。つまり、大蔵官僚なんですよ。今風に言えば。堅い人ですよ。役職なんですよ。でも大変なしゃれもんで、吉原のこともよ く通じてますし、吉原にもよく遊びに行ってたんでしょう。それで、吉原で出会ったのが川口お直さんという芸者がいまして、 これが吉原きっての三味線の名手だったんですね。で、のちにひかされまして、結婚しまして、向島に「川口」というしゃれた お茶席風の料亭を始めまして、非常になかなか文化人なんですよ、このお直さんは。でこの人が大田南畝と、その大田蜀山人と のコンビで作りましたのが、代表的なのがこの「北州」という曲です。「北州千歳寿」といいまして、まず最初は置から始まっ ていってだんだんにくだけていって、なんのことはない吉原の四季をあの手この手で楽しまそうという、そういう趣向の曲です 。そういうものが作られました。

 この場合、いろいろと吉原に対して、今日お聞きになります、ご覧になります、歌詞なんかお手元にお届けしてあるかと思いますが、その中でちょっと、二、三興味がある、ご覧になるうえでね、参考になることがあればいいかなと。

 まず、題名の「北州」ですよ。北の州と書きます。北州といいますとね、これは吉原のことなんです。吉原のことを気取って 言って北州。つまり千代田城のありますこの中央から見て、北の丑寅で北にあたります。北にありますので、「北州」と言って る。「北国」などといってるものもいたそうです。つまり、江戸の通人たち、おしゃれをつまり、きざなんですよ、とにかく。 いやみといえばいやみ。中国好みなんですよ。当時、これは日本人の習性だと思いますが、外国のこと、つまり日本語で言えるものを横文字で言ったほうがなんかおしゃれなような感じ、いまだにあるじゃないですか。なにかにつけて。それで「これ舶来よ」とか外国から海を渡ってきたものは優れたものである、みたいななんかそういう思いがある。これは、島国で育ったせいですかね。ありますね。で、この場合、当時、あこがれの外国は手近なところで中国だったわけですね、もちろん。ですから、中国のいろいろな故事とか、そういったものが、つまりは中国趣味なんです。で、当時ましてやるときのみんな熊さん八っつあんのときはそこまであれしませんけれども、やはりちょいとインテリぶりたい、ちょっとおしゃれぶりたいおじさんたちは、皆そういう中国気取り、今なにか日本語で言えばいいのに横文字で言って得々としてるのいるじゃないですか。僕なんかもその一人かもわかんないけど。でもたいてい、そういうつまり外国からくるものは優れたものとか妙なあれがあるんですね、習性が。それが端的に出ています。「北州」だの「北国」だのこれ、漢文ですよ。これは、こういう言い方をしていきがる、そういう趣味がある、中国趣味があるわけですね。

それで次に申し上げておきたいのがね、曲の中で「はや八朔の白重ね」と出てまいります。「八朔(はっさく)」という言葉が出てまいります。八月一日のことです。これは非常に江戸時代を通じまして八月が八朔という日は、さくというのは朔日と書きましてついたちと読みます。これはさっきも言いました、のっぱらだったところへ、豊臣秀吉からの命令によって徳川家康が岡崎で立派な豊かな城下を持ってるのに江戸へ行けとつれてこられちゃうですね。もう家臣はぶーぶーですよ。あんな草っぱらのところになんてね。でもこの関東平野って言うのは家康が先を見越して可能性なんかをあれしたのかもしれませんね。

とにかく、江戸に着きまして、江戸という町がスタートしたわけなんですけど、そのとき入りましたのが、八月一日に江戸に家康が入ったということで、特に江戸期を通しまして八朔という日を非常に大事にしました。それで、この「北州」の中でどう出てきますかというと、吉原の遊女たちが八月ですから、旧暦ではありますけれどもまだ暑い時期ですよね。それで、白がさ全て白の掛けを着て、全部色抜きの真っ白な掛けを着て道中をしたりするわけですね。「雪の道中」なんて俗に言ったそうですが。そういうことで、真夏を楽しむ、白尽くめの楽しみ、そういうものをやった、それがこの元は八朔という日を祝うという江戸きっての祝日だったわけです。家康が始めて江戸へ入った日ということを記念して、というのが今風に言えばそういうふうになる。それを口実にみんなその風変わりな、真っ白な遊女たちが、みてごらんなさい、掛けを全部白地にして道中するなんてのはちょっと素敵な雰囲気じゃないですか。夏の暑い盛りに。そういうことでやった。これは「八朔」という言葉が出てまいります。曲の中に出てまいります。

それから有名なのは「背中あわせの松飾」という言葉が出てまいります。これはどういうことかというと、吉原というのは大門というのを入りまして、真ん中に溝があったんですね、ずっと下水っていうか、溝がありまして、その左右に道を挟みましてお茶屋がずっと並んでたんですね。それで、お正月、門松を立てますときに、時代によって違うんですけど、各店の前に、当然 今と同じように門松を立てていた、松飾といいますが、ある時期から出入りの邪魔になるというような問題もあったようで、そ の溝の側に両方のお茶屋が自分の方を向けて松飾を飾るようになったわけです。自分の店の門に向けて、向こうの道もやります。向こう道も自分の方へ向けて。だからなんのことはない、溝をはさんで門松がずらーっと背中合わせになっちゃった、という 状況があったんだそうです。それが「背中合わせの松飾」です。そういう情景。それもちょっとこっけいというか、あほらしいような話ですけども、そういうところもうまくこの大田蜀山人としては、とにかく吉原通ですからね、そういったところも面白く取り入れてるんだと思います。

それで川口お直さんが、それまたおもしろおかしく吉原でたたき上げた三味の名手ですから、そういうあたりをうまく表現しております。向島で、さっきもちょっと言いましたが向島で「川口」という料理屋を始めて、大変な文化人だった人で、確か向島の土手にね、桜だの楓だの植えてあそこをああいう名所にしたの、お直さんかなりやったようですよ。そういったエピソードも残っています。最初、あそこ向島をああいう公園ぽくやったのはなんと八代吉宗なんですよ。吉宗があれを作ったそうですね。始めたという話を聞いております。

そして、これは「北州」の中には出てこないかもしれない。「ねごしてうえし」っていう言葉がよく出てまいります。なにをねごすか。根がのついたものを、桜の木を持ってきて吉原のメインストリートの真ん中に並べてに植えるんです。吉原の場面、吉原雀とかご覧になると、両側に茶店が書いてあって真ん中にどーんと桜の竹の格子の垣根があって山吹なんかあしらってあっ て、もうお決まりの吉原情緒場面です。あの桜ですよ。あれは、毎年持ってきて植えてたっていうんですよ。元々生えてんのが毎年咲いてたのかと思ったけど、どうもそうではないらしいんですね。最初は各茶店が、それこそ植木鉢に桜を植えるように各角ごとにおいてたらしい。そういう時代もあったようですけれども。最後はそういうのを「ねごしてうえしなんとかの」って言います。根付のまま持ってきて植えた、というようなことが残っております。ほんとかうそか知りませんけど、まあやりそうなことですよ、江戸っ子の。物好きでね。

それから、これはでてくるかな「清掻」というこれは音楽で、これは吉原を扱ったものにはたいてい出てまいります。効果的な三味線でスチャスチャスチャって、芝居でもあの、たとえばそれこそ吉原の助六なんかにも出てきます。福山のかつぎなんてスチャスチャスチャなんて出てきます、ああいうときに。それを同じ曲をゆっくりしたテンポでチャンランチャンランと弾きます。これはゆっくりなのりの清掻なんですね。これは格子の中に遊女たちがいてお客が冷やかして歩くわけですね。お気に入りの子がいるかなあなんて。そのときに中で新造というのがチャンランチャンランと弾いてるわけです。いかにも吉原の情緒という、これが「清掻」といいます。清いという字と掻きますの掻き、てへんの掻きです。「清掻」といいます。これはのちはばちで弾いてますけど、しゃもじで弾いたなんてのもあるんですよ。角兵衛という踊りがあります、常磐津の。「なんたるかこのせっかいでかきまわせたるぞとやら」せっかいというのはしゃもじのことですよ。しゃもじで弾いて、そんなふざけたことをやってみたりもした、こともある、お店もあったようです。そんなことをやりますね。「まがきの清掻はせっかいでどうやらこうやら」という歌詞です。角兵衛という踊りの鳥追いが踊るところです。そのところにそういうのが出てまいります。
次は二本という言葉がよく出てまいります。その中の二本堤。これが日本堤と今でも残っておりますけども、それともう一本、山谷のほうからくる道、土手が二つ、堤があったんで二本堤だと。そののちに日本堤だと書いて日本堤というふうになったという説もありますし、いろいろあります。

とにかく吉原は、先ほどの江戸の男どもの最大のあこがれの歓楽地でもありましたわけですから、様々なエピソードを残し、 また芸能の土壌として今日、いろいろなものを残してくれました。そういうところです。
では、その吉原の様々な四季の情景をしかも品よく情緒纏綿に彩られた、これが「北週千歳寿」という曲です。ではお楽しみください。どうも失礼いたしました。



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◎随時、作品に関する資料や情報「幕間話」をホームページ上に公開します。お楽しみに!!


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今回はお休みです。
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