アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.4

レクチュア「いき・粋・意気考」その1

 2003年12月5日(金) 紀アイコン尾井小ホール
 ゲスト 池田弘一(神田外語大学名誉教授・ミレニアムハウス館長)



園喜輔
皆様こんばんわ、花柳園喜輔でございます。師走のお忙しい中をお運びいた
だきまして、まことにありがとうございます。日本の音楽と舞踊の魅力をさぐる、シリ
ーズ公演も今回で三回目でございます。「物狂いの美」、「道行の美」と続きまして、今回
は「いきの美」でございます。「いき」とはほど遠い私がいきなり、助六など踊らせてい
ただきまして、本当に大汗でございます。
後ほど、もう一つ深川の芸者になり、「深川八景」を踊らしていただきますが「いき」について今日は大変心強いゲストをお招きしてございますので、先生にいろんなお話を楽しく聞かせていただきたいと思います。
ご紹介いたします。神田外語大学名誉教授・ミレニアムハウス館、館長でいらっしゃいます。池田弘一様でいらっしゃいます。

   池田弘一氏登場

池田弘一講師(右)と園喜輔(左)

園喜輔 先生ありがとうございます。今日は「いき」についてお話をお聞かせいただきたいと思います。もう、ちゃんとした粋なお召し物でコーディネートしていらっしゃいます。

池田 いきだおれです(笑)。

園喜輔 「粋」っていうのはですね、ちょっと辞典を見ましたら、「すっきりとして、垢抜けして、厭味がなく・・」そんな美意識を、まあ江戸の後期でしょうかね、特に江戸の庶民、町人文化の美の極致と言いますか、そういうものの表現だと思うのですが、先生が学校で教えてらして、今の学生さんたちに「いき」と言う言葉は果たして通じるのかどうか、いかがでございましょうか。

池田 そうですね、私は大学で日本芸能史という講座を通して学生さんに接しているのですが、私のところを受講していうるのは、圧倒的に女性が多くて、80%が女子学生、20%弱が男性でございます。

園喜輔 うらやましい限りで・・(笑)

池田 で、日本芸能史と言っても、歴史をたどっていくのではなくて、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)をテキストにしてやってるんです。そうしますとですね、浄瑠璃はもちろんのこと、歌舞伎が出てきますね、それに講談、落語、ずいぶん忠臣蔵を題材にしたものがありますから。
それに、音曲ということになりますと、「大序(だいじょ)」のところは常磐津にもありますし、義太夫だけじゃなくて。あとは「落人(おちうど)」のところは清元ですし、ですからまあ、仮名手本忠臣蔵というテキストに使っていますと、古典芸能をひととおりさわればさわれるわけです。
従いまして、その中では当然「いき」といった美意識についても話はでてきますね。で、話もしますし、中には女子学生の中には「いきという美意識について」などと言う、そうとう堂々たるレポートを提出する人もいます。じゃ、その人は「いき」というものを、自分の生活の中で実際の生活の中でどう感じているのかなあ、となると、読ませてもらってもよくわからない。
つまり、この人たちは、舞台の上の「いき」とか、江戸時代の過去の時代の「いき」は考えても、自分たちの生活の中で「いき」という言葉を使うとも、まずないし、自分の現代の生活の中に「いき」という意識をもっているようではないですね。
男子学生の中には、妙に「いき」っていうのを追求したがる学生もいるんです。ですけど、どうも、我々古典芸能に、こういうところに近づいている者の考えとは違う、不思議な「いき」ですね。

園喜輔 まあ、私どもは古典芸能ですから、「いき」なものとか、「いき」を目指して色んなことで言葉も使いますし、実際感覚的に分かる部分もあるんでございます。
今の方たちは「いき」という言葉を使わなくても、こう、オシャレで、オシャレっていうのは文化がございます。サブタイトルにもございますが、それはナウイこと、そしてやっぱり「いき」は今に生き生きしてなくてはいけませんね。
そんなことで、これから大変に面白い楽しいお話を沢山お聞かせいただきたいと思いますが、私は後ほど踊らなければいけませんので、これで失礼して、、
皆さんは先生とどうぞごゆっくりとお楽しみいただきたいと思います。失礼いたします。

園喜輔退場


レクチュア中の池田講師


池田 ということで私の方へバトンタッチってんですか、きたんですが、私自身「いき」ってどういうものか、えばっていうことじゃないけど、知るわけないですよ。「いき」ってなんだっていわれても、困ってしまいます。だけどパンフレットにも書いてあるし、何か、私が「いき」を知らないと、この際まずいように思うんです。こういうときは皆さん方におんぶしてしまうという手があるんです。つまり、「いき」ってなんだかわかんないから、「いき」じゃないものを沢山ぼこぼこ並べるわけです。私が並べる「いき」じゃなじゃない話の外が、もしかすると「いき」に近いわけです。
皆さんは江戸時代の天保時代の「いき」なんてものを、いまさら知ったって、これからそこに戻るわけじゃないんですからこれからの世の中、二十一世紀、二十二世紀・・まで生きちゃあ大変ですが、ですからご自分の生活、自分自身にとって「いき」とはどういうもんだ、考えるきっかけにしていただければ、つまり私の役はすむんじゃあないかなあと、こういう風に思います。
で、始めっから「いき」でないものを並べ立てるというと、皆さんが、この野郎本当に何も知らないんだなあ、と思ってしまいなすって、帰っちゃたりされると、これ又後で会主の踊りがあるんです。そこまでご辛抱いただかなきゃならないんで。今見せていただいた「助六」の復習から始まります。


「助六」の舞台写真


池田 「助六」は天保十年一八三九年江戸の中村座で、四代目中村歌右衛門が初演いたしました。これは「花翫暦色所八景」(はなごよみいろのしょわけ)という八変化の所作事の二番目にございます。江戸のお城から八方に方角を分けまして、八つの踊りを見せる。最初は天女、二番目がこの「助六」なんです。その番付をみますと、北にあて花に誘う吉原に、助六の夜の雨、長唄でございます。千代田のお城から見て、吉原は北なんですね。だから、吉原の遊廓のことを「北国」(ほっこく)なんていう風にも言ったらしいですけど、私は知るわけない、人のいうのを聞いただけです。
三つ目は例の常磐津の「年増」を踊って、五つ目には常磐津と長唄の掛け合いで「景清」を踊ってます。昔の役者はすごいですね。五変化、七変化、九変化、十一変化、十二変化くらいまでやっちゃう。十二ヶ月全部!こういうお話をしていると、先に行かないから、この辺のところにいたしますが。あの深川、門前仲町から清澄通りというのを両国の方へず〜っと行きますってえと小名木川と言う川がありまして、それにかかっているのがタカバシ・・高橋と書いてタカバシ・・それを渡って左手、小名木川に沿っての川っぷちのことを芝翫河岸(しかんがし)と申します。
なんで芝翫河岸かって言うと、四代目歌右衛門がこのあたりに住んでいた。この深川というところは芸能人、文化人、金持ちが別荘を作ったり、あるいは隠居所をずいぶん作っていたようであります。天保二年、さかのぼって戻ります。中村座でこの四代目中村歌右衛門がまだ二代目中村芝翫の頃踊ったのが、「六歌仙容彩」(ろっかせんすがたのいろどり)、六歌仙すべて一人で踊っちゃうんです。その中に「喜撰」と言う清元と長唄の掛け合いでございますね。その頭のとことに「わが庵(いお)は、芝居のたつみ常盤町、しかも浮世をはなれ里」と歌っております。芝翫河岸とは今の江東区の常盤二丁目十五番地です。その芝居の方、江戸の方角から言って、辰巳の方角(南東)にあるのが深川なんです。だから、辰巳と言う言い方をするわけで、助六の作者、三代目の桜田治助、これも、深川仲町の生まれで、たいそう洒落たものを沢山作った人であります。
作曲者は十代目の杵屋六左衛門。この人は舞台生活四十年以上、皆様ご存知の長唄が・・殆どと言うとおかしいですが、沢山この六左衛門の作曲にございます。まず、言ってみれば、外記猿、賤機帯、傾城、供奴、浦島、角兵衛、官女、巽八景、五郎、秋色種、常盤の庭、鶴亀、末広がり、翁千歳三番叟・・これらみんな十代目杵屋六左衛門の作曲でございます。
今お聞きいただいても、「助六」というのは、変化舞踊ですから、あまり長くないけど、実によくまとまっていて、うまい、三味線の手もよくついていれば、よい節もついている。という風におわかりいただけたんじゃないかと思います。その頭のところ、置唄と申しますね。まだ園喜輔さんが出てくる前のところ。「咲きにおう、桜と人によいの口、野暮はもまれて粋となる」野暮ってなんだ。それは世情に疎い、態度振る舞いが洗練されていない。特に遊びの世界について、非常にうとい。基本的な姿勢にぼやけたところがある。またそういう人のことを、「野郎、野暮だよ」やぼてん、ってなことをいうわけで、遊里、遊びの里では、粋(すい)に対し対立語として、この「野暮」というのが使われたようでございますね。
だから、我々は出来ることなら、まあ、あっちへ行くまで、あいつは、まあ、あの先生は野暮だねと言われないようにするのが、人生の目的であると、私は思っております。じゃあ、この「助六」という踊りが出来た頃の町の若い衆はどんななりして遊びに行っただろうか。別にこれは参考にも何もならないと思いますが、申し上げておきます。
川柳がございます。
「当世のきまりは本多 銀ぎせる」当時の流行は本多髷というファッションがあったわけですね。本多髷というのは、この中剃り、このさかやき(月代)を広く剃りあげる。私のは剃り上げたのではなく天然自然になったのだから、見本にはならない・・で、若いやつがここを剃りあげると、青々しますな。で、髷を高く、近頃油で固めてカチカチに鶏冠立ててる男がいますが、そうじゃない。助六のところにもありましたように、「松の刷毛さき透びたい」だから、この髷の先の方を細くすっきりとすんなりとこしらえて、脇の鬢のところに油をつけない。油をこってりつけた方が髪型はくずれなくてすむのですが、正直言って、周りの人が臭い。だから本多髷っていうのはここに油はつけないで、後ろだけ油をつける。ここのところは櫛を十分によく入れまして、一本一本の髪の毛の毛筋がはっきり目立つようにしたんだそうです。なるほど、歌麿呂やなんかの美人画の版画とか見ますと、鬢のところの髪の毛が一つ一つ、女性でも男性でもきれいに出てますね。あれがおしゃれだったんですね。
なりはちりめん、羽二重の柔らかもの。それに別誂えの煙草入れ。煙草入れ、これは京橋のそばに京伝という人がいましてね。これは戯作者ですからいろんなものを書いた人ですが、お城の東の方で、京橋の橋の袂にいたから、山東京伝です。煙草入れ製造元なんですね。ここで、洒落た、実に洒落た煙草入れを売っている。これは別誂えで作って、それに銀ぎせるを持つのがお洒落だったらしいですね。それから、着物の着方。「色男、襦袢でのどをしめるよう」襦袢の襟をかきあわせて、クーっと襦袢の襟をきちっとかき合わせるのが、その頃の若い衆の最新の、最先端の流行だった。どなたかまねてみようというかたがあったらおやりになって・・・近頃はみんな、こうはだけて・・電車の中でぶっつわってるひとがいますね。あれは何か病気じゃないかと思います。
今きせるの話がでましたから、ついでにこのたばこということになりますが、はい、今これで思い出したんですが、私がごく若い頃、昭和の二十二年頃、私は学生だったんで すよ。学期の始め、偉い先生だったと思うんだけど、名前も覚えていなきゃ、科目も覚えていない。なにしろその先生が菓子箱のふたみたいなのを持って教室に来ましてね、まず初めに言ったことが何かってえと、「皆さん悪いんだけど、私は煙草を吸わないといられないんです。これから九十分の授業、煙草を吸わないと途中で倒れるんです。だから二回くらい休憩させてもらって煙草を吸うことにするから、皆承知してくれ」と。
「ついては、この箱の中に煙草がはいってるから、これ廻すから、私が煙草を吸っているときは、諸君の中で煙草を吸いたい人は吸っていいよ」で、これを廻されて・・私は煙草吸いませんよ、未だに。
未だに未成年の気持ちですから、煙草は吸わない。その時ももちろん吸わなかった。箱の中に入っている煙草は一本一本まともな煙草じゃない。ちぎったわけでもなきゃ、吸いかけの、何だかわからない。あるいは、道に落っこちていたやつを、棒の先で突っついて、あの頃もく拾いっていうのがありましたから以前は、棒の先に針のようなものをつけましてね、チェイッってね。これを紙で巻いて、紙売ってましたから、煙草巻き器、それをてめえの家で巻いて吸う人がいたらしい。私は知らないですよ。聞いた話ですから。
そういう煙草、この話はいきじゃないでしょ。いきじゃないけど、野暮じゃないでしょ。
自分が煙草を吸うんだから、しょうがない、悪いかもしれないけど吸わないとひっくり返っちゃう。ついてはみんなもどうだい、よかったらどうぞ。
時間がないのにこんなこと言ってると、また叱られちゃうかもしれませんが、言っちゃいますがね。うちの学生なんかでも、ペットボトルを机の上に置いておく奴がいるんです。私は怒るわけです。「おめえそれを飲む気か」というと「のどが乾いちゃって、授業中・・・」「飲むんならいいよ、飲んだって。だけど、ここに六十人学生がいるんだから、六十本買ってこいや。それで、みんなにすみません、すみませんと言って配って、最一番いいやつを俺のところに置いて。じゃあみんなで一口やろうか、と言うのなら、俺はいいよ。それをてめえだけ喉が渇いたからなんて、ふざけたこというんじゃない」
大学の教員がこういう言葉使いしちゃあいけないんです。これは粋でも野暮でもない、これを野蛮と申します。


レクチュア中の池田講師


池田 で、この先生、毎時間だったと思うんですけど、私は途中から出なくなっちゃたから、言い訳をすると、煙草臭くていけなから授業に出なかったってことにしてしてるんですが。そういうことしてらっしゃいましたよ。
もう一つ、これは十五〜十六年前のことです。新橋と銀座の間で、私こんなことやったんです。ほろほろっていい気分になって歩いていたのが、三人かな四人かな、みな美女ですよ。びじょって分かりますか。雨降りじゃないですよ。そうすると、これも三〜四人の若い男が歩いていたんです。私なんかさっささっさと歩くのが早いもんだから、すぐ追っつきそうになったその時に、私の連れの子が、ふっとしゃがむってえと、下から何かつまんだんですね。すぅっと前に回ると、三人四人の男の前に持って行って「はい、落し物」って言ったんです。つられて野郎手を出してんです。落っことした煙草の吸殻をひょいと乗せたんです。くわえ煙草で歩いていたのを、ポイとやったのを、彼女が拾って一番前にいって「はい、落し物」ってやったんです。その時の間の良さ。ここでですね「あなたね、こういうとこに落とすもんじゃないわよ、マナー知らないの」なんてこと言うと、今度はこの男が黙っちゃいない。「お前にそんなこと言われたくないな」こりゃ修羅場になっちゃうんです。だからそこんとこは「ハイ落し物」といって渡しといて、すうっと体を開いて、下がっちゃう。
物を言うのは、いきにしろ野暮にしろ、間合いですな。段取り、間合い。そこんとこが、とんとんっといかなきゃいけないですね。私なんかですと、そこで小言の一つも言っちゃうから、むこうからもかましてくる。ここんとこはパッと体を開いたあの子はスゴイなあと思います。私にはできないなあと思ってます。


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