アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.24

      ゆうらくの美〜ファイナルステージは芸に遊ぶ〜
     
レクチュア「ゆうらくの美考」その3

平成22年12月3日(金)
紀尾井小ホール

「ゆうらく考」

聞き手 花柳園喜輔

ゲスト 杉 昌郎(集団日本の音主宰)
    藤舎呂船(囃子演奏家)

左から 藤舎呂船、杉 昌郎、花柳園喜輔
中央 花柳園喜輔、右 藤舎呂船
大道具もついでにやらなきゃならないんです。とにかくせっかちなものですから後見さんが出てくるのを待ちきれない。時間を無駄にしないようにたんとおしゃべりします。大体は無口なんですよ。根は無口なんですけれども、しゃべれというからしゃべる。で、見てください。このざまを。紀尾井ホールの舞台に出てくるさまじゃないんですけれども、タキシードにしようか紋付にしようかっていったらそのままでいいって言われちゃって。で、このままで出てまいりました。

実は今日午前中、豊島区の小学校で、小学生対象に日本音楽を聞かせていたんです。そういう活動をやっておりまして、もう四十年近く続けております。で、生の音をとにかく聞いたことがないのが当然ですからね、生の音を聞かせて。今日はたまたま午前中は豊島区で二回公演やってまいりました。朝の九時からやってきまして、子どもたちと一緒に日本音楽を楽しみます。長唄は「越後獅子」、お琴は、何をやったっけ。あ、そうだ。「春の海」と「六段」を聞いてもらいました。
というふうに、日本の古典音楽をこどもたちに聞かせる、そういう活動。それを一番最初に彼が紹介してくださいました、「集団日本の音」の大事な大事な仕事なんです。で、それをやっております。ま、その感覚で今日はおしゃべりさせていただいておりますので、小学生の皆さんを対象というイメージであれしております。

お話をちょっとまじめなほうへ戻します。今日は「北州」という曲がとにかく中心になっております催しですね。「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」という曲なんです。これは成り立ちからお話しいたします。

清元という浄瑠璃ができまして、浄瑠璃というのは語り物音楽です。長唄は唄です。常磐津、語り物音楽で一番ものすごいのが義太夫節ですよね。これは上方のものですから。江戸の浄瑠璃としては常磐津があります。清元があります。それから富本というのがあったんですが、これは早くに、ほとんどなくなりましたね。これが豊後三流と言って豊後節というところから出た流派なんです。それから新内もその系統です。ということなんですね。そういうふうに、語り物、江戸風の語り物浄瑠璃、上方の義太夫とはまったく感覚の違う、そういういわゆる粋(いき)な世界みたいなもの、特にその中でも清元というのは、粋を煮しめたような語り物音楽でして、時代はまさに一番最後にできた浄瑠璃。つまり語り物音楽が清元です。これは、文化文政時代ですね、とにかく、田沼意次などという非常に悪い政治で評判の悪い人なんですけど、実はがちがちにコメの収穫だけに頼る政治じゃなくて、いわゆる流通を盛んにして、そこから税金をとればいいという考え、近代人だったわけですよ。で、そういうその時代は非常に江戸の空気が解放されて風通しがいい時代だったんです。その時代から次に解放されまして、その時代を代表するのが常磐津であったり富本であったりというおおらかな浄瑠璃だったんです。

それが粋で、天命三年かな、有名な浅間山が大噴火いたしました。その灰が江戸にも降りまして、大飢饉になっちゃいます。それで結局、田沼意次は失脚いたします。それで、その次に松平定信という若いエリート官僚が出てきまして、ぎゅーっと締め上げるんです。まったく逆に、倹約倹約倹約、すべて倹約という時代がやってまいりました。絹のものを町人が着てはいけないということで着るものから食べるものから何から全部、制約で倹約倹約で一点張りなんですね。で、そこはちゃっかりしたたかですからね、江戸庶民は。「はいはい。おっしゃるとおり木綿着ております」って唐桟物(とうざんもの、綿織物)を着て裏をぶんと返したら、富士絹(絹紡糸を用いた平織りの絹)にじゃんと酒井抱一(さかいほういつ:江戸後期の画家)かなんかが技巧した裏が、羽織の裏がついてたなんてなね、そういうひねくれた贅沢をするようになるわけですよ。
おおらかに贅沢を楽しんだ連中と違って、田沼意次の時代、天明時代、その時代はおおらかに富を誇示できた時代だけど、それが屈折してくるわけです。で、それから出てくるのがやれ粋だのいなせだのという文化になってくるわけですね。表向きは木綿を着てるけど、裏がばんとみたら「おお」というものを着てるという、そういうふうなちょっとひとひねりした文化、それを代表するのがこの清元なんですよ。

清元は寛政の改革以降ですからね。文化文政、まさに江戸期の最後の浄瑠璃としていわゆるその皮肉な世界を楽しむ、そういったある意味ものすごく高度なおしゃれな世界を構築していくんですね。

常磐津なんか骨太です。義太夫はもう論外ですけれども、そういう意味ではね。力強さという意味では非常に質実剛健ですけれども、常磐津は江戸浄瑠璃の中で、常磐津はわりにかっちりと拍子もしっかりしていますし豪快です。「関の扉(せきのと)」か「将門(まさかど)」とかいう大曲がありますよね。歌舞伎舞踊の大きい作品は常磐津なしではできないってぐらい、骨格のしっかりした曲。そこへいきますと清元は、非常に遊びが多いんです。まさに「ゆうらく」なんですよ。遊び、楽しむ世界を代表する浄瑠璃とお考え下さっていいと思います。

その中でもなかんずくこの「北州」という曲は清元の中でも非常に大切に扱われております。ご祝儀曲、あるいはおめでたいことをする、おめでたいことを表現する、という場合によくご祝儀ものとして演じられます。そうですね。数ある日本舞踊のご祝儀物の代表だと思います、いろんな意味で。
様々な登場人物が出てきて、吉原の四季を綴っております。ということでね、ここで吉原のお話なんですけれども、これは元々、今の日本橋、とにかく江戸という町は、家康が初めて乗り込んできたときに野原(のっぱら)だったんですよ。なんにもない武蔵野で、月がこっちから上ったらこっちに沈むのがみんな見えちゃったというくらい、なんにもない野原(のっぱら)だった。そこからスタートしたんですね、この町は。江戸という町は。ですから、全てがいわゆる人工的に作り上げられた町、という状況を持ってます。その中でいろいろあって、その間に上方から一稼ぎしようっていろんな芸人たちが、この新開地である江戸へみんな入り込んでまいります。そして、だんだん江戸独自の文化を創っていく、ということになるわけですけれども、その一番最後に洗練された、あるいは皮肉な、おしゃれな、そういう浄瑠璃として今日に伝わっているのが要するに、この清元だと思います。



「物狂い考」その1 「物狂い考」その2
「物狂い考」その3 「物狂い考」その4
「道行きの美」はじめに 「道行き考」その1 「あな妖し考」その1 「あな妖し考」その2
「いきの美」その1 「いきの美」その2 「いきの美」その3 「えんの美考」その1
「えんの美考」その2 「えんの美考」その3 「えんの美考」その4 「えんの美考」その5
「をかしの美考」上 「をかしの美考」下 「もじりの美考」 「もじりの美考」その2
「もじりの美考」その3 「ゆうらくの美考」その1 「ゆうらくの美考」その2