アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.20

        もじりの美 〜伝統芸能は凄腕アレンジャーの宝庫!
     
レクチュア「もじりの美考」その2
平成二一年一二月四日(金)
紀尾井小ホール

「もじり考」
聞き手 花柳 園喜輔
ゲスト 田口 和夫(文教大学名誉教授、能・狂言研究家)


左 花柳 園喜輔、右 田口 和夫
花柳 さて、今回のわれわれ踊りの方の先行芸能といいますか、能とか狂言のお話のように、いただいてきた作品をやってお りますけど、今回の「外記猿」に関して、これは「靱猿」の影響がずいぶん大きいと思うんですが、その辺からお話いただけま すか。
田口 「外記猿」というのは、私は拝見したことがなかったので今回、お稽古なさっているのをそっと拝見したのがまず最初 だったということになるんですが、「外記節猿」とも言いますがこれについては、神田外語大の名誉教授でいらっしゃる池田弘一先生が行き届いた論文をお書きになっています。それによれば、「靭猿」との関係というのもよくわかるんですが、まったく 同じことを申し上げてもしょうがないので、私の専門である能狂言の方の「靭猿」の方からちょっと考えてみたいというふうに思います。
  「靭猿」というのは「靭」と「猿」が合併した表題です。「靭」というのはこの場合はどういうものかと申しますと、狂言の「靭猿」をご覧になった方はわかるんですが、大名が持ってまいりまして、このぐらいの太さの、このぐらいの太さ(両手で大きさを表しながら)のものです。矢を入れておくものです。矢を入れて背中に背負ったり、腰につけたりする。当然、片手には弓を持ってこれから狩りをしますというふうな場合に使われるものが「靭」です。それと「猿」が合併した題名なんで、当然そこには大名と太郎冠者、それから猿回しが登場してくるというわけです。
  狂言の「靭猿」の見所は、三歳くらいの小さな子供が狂言役者の一番最初の舞台を踏むという狂言なんだということで、こんな小さな、猿のぬいぐるみを着て猿の面をかけた、そんなちっちゃい子が、たいていおじいさんか誰かに背負われて出てきて、舞台の上でかわいい猿舞を披露するというところが見所なので、おじいさんなりお父さんなりの謡う猿歌にのって子供が、小さな猿が舞を舞うというところが見所の狂言。
  ただしこれは、室町時代からある狂言なんですが、室町時代の狂言のあらすじがわかっておりまして、そのあらすじによりますと、実は室町時代の「靭猿」には猿歌がなかった、と考えられています。あらすじはほとんど同じで、大名が狩りに出ようというので太郎冠者を連れてくると、そこに猿回しが猿を連れて出てきて、その猿を見た大名があの猿の毛並みがいいから自分の靭にかけたい、猿の皮を剥いで猿皮靭にしたいんだ、ということで猿回しに猿を殺させようとする。しかし猿回しが猿を殺せないで泣くと、大名も同情して猿を助け、そのお礼として猿回しが猿を回すということなんですが、今の舞台で一番肝心の猿歌に乗って猿が舞うという場面はなかった、というふうに考えられています。
  江戸時代になってから、これが入ってきた。入ってくるとこれが非常におもしろかったわけですね、やっぱり。そのおもしろかった部分を舞踊の方で取り入れて、おもしろい部分だけを使った、というのがこの「外記猿」の部分だということになります。
  「外記猿」の部分はさっきご覧いただいたのでおわかりだと思いますが、まずは猿回しが登場してきて、あるお宅で猿回しの猿を舞わせる、という場面からスタートしていくというところなんで、そこには「靭猿」の前半の大名が出てきて狩りに行く場面はまったくとってないわけですね。ですから、とったのはおもしろい部分だけ、猿が舞う部分だけをとりました。結局、どうなったかと申しますと、後半の猿回しが猿を舞わせる猿歌の部分は、演者が猿であると同時に猿回しでもある、というふうな形の演技が舞踊の中で披露されていくところが多分、新しい<もじり>の見所(みどころ)だったんだろうというふうに思います。
花柳 これは文政年間にできたんですが、十世杵屋六左衛門さんの作曲で、ふるい長唄で「外記節」というのがあったらしくて、その「外記節」の曲調なり歌詞を取り入れて、「外記節」の猿という正本を取り入れて作られたように伺っていまして、長唄でもちょっと語りが多いように思います。そんなのもやはり、先行芸能からの影響があるんではないかなと思うんですね。
田口 基本的には「近頃河原達引」というので、「堀川猿回しの段」というところが先行して存在していて、それがずっと尾を引いてここへやってきて、というふうに思われるんですけどね。文政七年の甲申の年に、申年生まれの杵屋六左衛門が猿の曲を作ったというので有名なんだというふうに、池田先生のご論文にも書かれているというわけです。
花柳 今、歌ってくださいました吉之丞さんは、六左衛門家の方のかたでいらっしゃいます。それで、先ほど楽屋で伺いましたら最初の出のところの「テチチリチツツツン」のところが、いわゆる「外記がかり」というような、いわゆる「外記節」の面影を残し、また最後の「トトテン楽しうなることめでたけれ」ですか、あそこのあたりが「外記どめ」というような手を使っていて、「外記節」の特徴だ、というふうに伺いました。
要するに「靭猿」の歌詞を取り入れながらも、「猿」というものをテーマで猿引きになったり猿そのものになったり踊るというふうにもじった、という作品でございますね。
次は「八雲猩々」というの、これは能の「猩々」と他のものを取り入れた、ない交ぜって言うんですかね、そのことをお話願います。

「八雲猩々」の舞台より 園喜輔
田口 「八雲猩々」はその題名が「八雲」と「猩々」。当然「八雲立つ出雲の話」と、それから「猩々」の話が一緒になって題名になっている、というふうにお考えいただければよろしいわけなんですが、元々は近松門左衛門の「日本振袖始」という浄瑠璃の、最後の部分が独立して演じられるようになっているということであります。
  全体の戯曲を見れば、この「八雲猩々」に出てまいります主人公のイワナガヒメというのがどうして出てくるのかということも話の中でわかってくるのですが、元々は日本神話に出てくる、大変有名なヤマタノオロチ退治という話と、それからニニギノミコトがコノハナノサクヤヒメとイワナガヒメという姉妹のどちらをお嫁さんにするかという話の二つが、入り混じった話として近松が一つの話に作り上げたというのが最初の話だったようです。
  当然、「八雲猩々」の中心は、最後のヤマタノオロチ退治になってまいりますので、スサノオノミコトがその大蛇(お
ろち)退治をする場面、これは日本書紀にもありますし、古事記にもあるんですが、どうも内容からいうと日本書紀の方が近松の作品に近いようです。
その中で、元々の神話ですと新羅(しらぎ)の国に天下ってまいりましたスサノオノミコトが、新羅の国から日本へ舟でやってまいりました。出雲の斐伊川の鳥髪へやってくると、そこにおじいさんとおばあさんが嘆いていると。美しい娘がいる、クシナダヒメですね。それが八岐大蛇の人身御供になってしまう。それを助けてやろうということで、大蛇退治のための、まずは八つのかめをそろえてそこに酒を入れて、その酒に酔ったところを退治しようという話になっていくわけで、近松はそこで
クシナダヒメにちょっと活躍させまして、剣を一本渡しまして、ここ(脇)に隠しておいて大蛇のあごを突けというふうなことを言っておくわけです。というわけで、ここ(脇)に隠すために、袖に脇開きがある、これが振袖の始めなんだというんで「日本振袖始」というんですけど、その後の部分が大蛇退治の場面です。当然のことながら、かめが供えてあって、そこへヤマタノオロチが登場してくるというわけで、近松の時代には八つのかめと八人の娘、大蛇の頭が出てきてそれで酒を飲むという場面があったように、絵には描かれております。それが一つです。
  それからそれに能の「猩々」をとり合わせて登場させる、大変有名な能なんですが、海中から猩々という猿みたいなものが現れてきて、それはお酒が好きで、いつも高風というお酒売りの人間と交流があって、お酒を飲ませてもらっているというふうな話がある、めでたい曲です。その「猩々」の後半部分、猩々が出てきてお酒を飲んでおおいに酔っ払うという場面が、この八雲猩々の中に取り入れられておりまして、当然、ヤマタノオロチが酒を飲む、猩々が酒を飲む、酒を飲むということで共通なので猩々の部分を取り入れてより楽しくした、ということになるわけで、竜が酒を飲んでもあまり楽しい場面、見せ場にはなりませんから、猩々が酒を飲むと。これは能の猩々でも後半は特に<乱れ>という演出がございます。<乱れ>というのは猩々がお酒を飲んでいよいよ調子に乗って舞を舞う、そういうふうな演技をそこに置くのが<乱れ>なんでありまして、そういうふうなところが取り入れられまして、見所として設定されているというわけなんであります。
  それからもう一つ、能には観世小次郎信光が作りました「大蛇」という能がございます。これは文字通りヤマタノオロチをスサノオノミコトが退治するという能でありまして、元は日本書紀なんですけど、その部分でできているんですが、そこにはイワナガヒメは登場しません。大蛇とスサノオノミコトだけですね。ですから、イワナガヒメが登場してくるというのは、近松が使ったことが影響してくるわけで、イワナガヒメというのは醜い容貌のお姫様だった、という風に考えられております。その妹がコノハナノサクヤヒメでこれは絶世の美女だということになっております。
  日本神話の中では、ニニギノミコトが嫁さんにしようと言ったときに、その二人の姫様の父親のオホヤマツミノミコトが「じゃあこれを差し上げましょう、二人を差し上げましょう」と言うと、ニニギノミコトが「姉の方は醜いからいいや」というんで断ってしまう。するとオヤマツミが言うんです。「二人ともお召しになったならば、ミコトの命も永く幸せも永かったろう。しかし、美しい妹だけをお召しになったから、そういう華やかな美しいところは得られたけれども、命永くというところはお持ちになれなくなった」というふうに言うんです。ですから、それからあと天皇家は、天皇たちは命が短い、というふうに言われていまして、日本書紀の一章では日本国民全部が命が短くなっちゃった、というふうに言っておりますから、恐ろしいことなんですがね。というふうな話が元になっています。
花柳   今回、上演いたします「八雲猩々」は近松の詞章を元にしまして、演出とか構成とかしてくださってる由井宏典先生が若かりし頃、詩を取り入れまして野澤松之輔先生という文楽の方なんですが、作曲していただいたずいぶん昔のものなんですが、お芝居でやるのとはちょっと違うと思いまして、いわゆる、お酒をイワナガヒメが飲んで猩々が酔う、というところが眼目ですよね。それと今の話のように、イワナガヒメというのがあまりきれいじゃなかった、それとやっぱり生贄のイナダヒメがすごい美女であります、そういう嫉妬の念や執着が蛇みたいなことになると、やはり嫉妬というものは大変に怖いものだと思います。それを踊ることになります。
田口   あ、もう一言。イワナガヒメがここに出てきてなんでヤマタノオロチかというと、やはり近松の作意であって、イワナガヒメは元々はオロチの化身、その同じ執念を持つものがイワナガヒメの形でいたんだというふうに設定されるものですから、全然時代の違う神話が一つにない混ぜられてる。それでイワナガヒメがヤマタノオロチの形で登場してくる、というふうになってしまうわけです。

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「物狂い考」その3 「物狂い考」その4
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