リストマーク 日本の音楽と舞踊の魅力を探る VOL.1

ものぐるいの美−狂うほどの愛、知っていますか− より
レクチュア「物狂考」  その2

 平成12年12月1日(水)紀尾井小ホールで行われた、オフイス拓主催、花柳園喜輔企画・構成の『ものぐるいの美』公演から、レクチュア「物狂考」をホームページで再現します。会場の楽しい雰囲気をネット上でもお楽しみください。(5回連続で掲載の予定です)



  レクチュアでの
   如月青子講師

前回その1の概要

如月青子講師により、日本舞踊における「物狂い」の起源についての解説があり、今回の企画では、その物狂いの舞踊を<素踊り(すおどり)形式>で見てもらう形を採っていることが説明されました。

5.実際の舞台について

   スライド「保名」1
如月 それでは、今ご覧いただいた素踊り(すおどり)の「保名(やすな)」ですが、これを実際の衣裳をつけるとどういう形なのかを見ていただきます。スライドお願いいたします。
如月  これは、先程お話にもありましたが、二十代の園喜輔さんが本衣裳をつけられた「保名」でございます。締めているのが紫の病鉢巻き(やまいはちまき)ですね。特徴的なのは、長袴(ながばかま)です。露芝(の模様)が付いたもので、歌詞の中にも素襖袴(すおうばかま)という文句が出て参ります。そして、(背景の)下の方には菜の花、上の方には桜の枝が見えておりますね。では、次のスライド。
スライド「保名」2
如月  先程申しました小袖がはっきり出ております。これは、幕切れに近い時の形だと思います。私は思うのですが、皆さんはどう思われますか?小袖を肩に掛けてダラッとしていますね。そして、病鉢巻き、それから頭(髪)は垂れていますね。結っておりません。下は長袴です。全部、下の方に垂れる、物憂い(ものうい)って申しますか、春の空気の重さみたいな事を感じます。心を写して踊る物だと思います。先程の素踊りでもそれを大事に写していらっしゃったと思います。
スライド「賤機帯」1
如月  これは、「賤機帯(しずはたおび)」の一場面でございますが、園喜輔さんがまだ衣裳をつけては踊っていらっしゃらないというので、林一枝(かずえ)さんの舞台姿でございます。松羽目(能の舞台から写した物で背景に大きな松の木が描かれている)の舞台で、正面上段に長唄の皆さんと下にお囃子の皆さんが見えています。そして、鞨鼓(かっこ)のくだり(場面)ですね。上に着てられるのは、唐織(からおり)でございます。能から来ている大変重みのある織物で、こういう風にからげて着ているのを<壺折り(つぼおり)>の着方と申します。ですから、唐織りを壺折りに着た形と呼びます。
スライド「賤機帯」2
如月  次のスライドは、相手の舟長(ふなおさ)が出ておられます。こちらは林茶花枝(さかえ)さんでらっしゃいます。座っていますが、履いている袴は、<わん袋>と申します。写真では脱いでいますが、初めの方では、<肩衣(かたぎぬ)>を着ています。この<肩衣>と<わん袋>で狂言の太郎冠者の格好になります。女の方も<唐織り>を脱いでいるので、写真は最後の方だと思います。スライドありがとうございました。

6.保名の舞台と演出

如月  先程の「保名」がどういう作品かと申しますと、保名の職業が大変変わっています。<陰陽師>と書いて「おんみょうじ」と読みます。どういう事をするかと申しますと、災いの原因を探ったり、それをどう処置したらよいかを定めたりする人です。ですから、侍でも、公家でもないという、そういうムードが必要になって参ります。
 そして、その元になっているのは、人形浄瑠璃『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』と申します。文楽でもこの二段目に「小袖物狂」というところがございますが、昭和の初めまでは頻繁に出ていましたが、このごろは少なくなりました。でも、私は、平成6年に国立劇場で観ております。ですから、どこかで観たことがあるという記憶をお持ちの方もいらっしゃると思います。
 それで、簡単に申しますと、保名(やすな)の恋人である榊の前(さかきのまえ)は陰謀にはまりまして、責任から自害してしまうんですね。大事な秘書(秘密の手紙)を失った責任をとって自殺したので、それにより安倍保名が狂って春の野にさまよい歩くのが先程の踊りでございます。三代目の尾上菊五郎が、人形浄瑠璃から採って、四季の七変化という変化物、次々と変わって踊る作品の一つにいたしました。これが文政元年、1818年でございます。そして、清元の出世浄瑠璃と言われ、名曲であったのですが、どういう訳かずっと絶えておりました。これを、劇聖と言われた九代目市川団十郎が、明治19年(1986年)に新富座で三段返しの一つとして復活致しました。このときの台本を見ますと、竹本(たけもと:義太夫音楽)と清元の掛け合い(二種類の楽器が一緒に演奏すること)になっております。次に、六代目尾上菊五郎、今の歌舞伎の基を作った名優としてご存じの方も多いと思いますが、その菊五郎が大正12年3月帝劇で新演出で見せました。田中良という舞台美術家が考案しました、背景の下が菜の花の葉の緑、上の方が菜の花の黄色が一面に広がった舞台。いままでのお宮やほこらが見える古風な舞台ではなく、心を踊るという六代目の発案により、繰り広げられました。
 ただ、これはこの5年前に藤蔭(ふじかげ)流による<藤蔭会(とういんかい)>で田中良さんが試みています。これを元にして、六代目がさらに工夫を加えてたのでございます。今、見ていただいた「保名」は、だいたい六代目の舞台が基盤になっています。


7.賤機帯の舞台と特徴

「賤機帯」より
花を掬(すく)う踊り

如月  後で見ていただく「賤機帯(しずはたおび)」でございますが、一中節(いっちゅうぶし)の「峰雲賤機帯(おのえのくもしずはたおび)」から大変影響を受けている長唄でございます。題名の「賤機帯(しずはたおび)」は、ちょっと変わった題名ですが、一中節では、静岡県の浅間神社の裏の賤機山(しずはたやま)から採ったと言われています。帯は安倍川の流れを表しているという説があります。ただ、今、長唄で言われておりますのは、<倭女(しず)>という古代の織物の一つで、乱れ織りにしていることから「乱れる」の枕詞にもなっております、その<倭女(しず)>から子どもを捜す母親の乱れ心に結びつけております。
如月  「保名」が恋人を尋ねるのに対し、「賤機帯」は行方の知れなくなった子を探している謡曲<隅田川>が土台になっているわけです。「賤機帯」は、謡曲の<桜川>からも随分採り入れています。花を掬(すく)うくだり(部分)とか、鞨鼓(かっこ)を打つというくだりとかです。これは、悲劇的な作品ですが、文政11年(1828年)山王神社の踊り屋台で上演するものとしてできましたので、深刻ではなく、派手やかな名曲になっております。歌詞も目出度い言葉で終わっています。ですから、清元の「隅田川」とは大変対照的です。 (以下、次号に続く)

次回は、清元と長唄の演奏者も、園喜輔も登場し、音楽的な面からのお話が展開します。お楽しみに。 
  平成12年12月1日(水)紀尾井小ホールで行われた、オフイス拓主催、花柳園喜輔企画・構成の『ものぐるいの美』公演から、レクチュア「物狂考」をホームページで再現します。会場の楽しい雰囲気をネット上でもお楽しみください。(5回連続で掲載の予定です)

●レクチャーバックナンバー (クリックすると、以前のレクチャーを見られます。)

 「物狂い考」その1