アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.19

        もじりの美 〜伝統芸能は凄腕アレンジャーの宝庫!
     
レクチュア「もじりの美考」

平成二一年一二月四日(金)
紀尾井小ホール

「もじり考」
聞き手 花柳園喜輔
ゲスト 田口 和夫(文教大学名誉教授、能・狂言研究家)



「外記猿」の舞台  花柳園喜輔


講師  田口 和夫
花柳 皆様こんばんは。師走のお忙しい中をご来場いただきまして誠にありがとう存じます。「日本の音楽と舞踊の魅力を探る」シリーズ公演、今回は九回目でございまして「もじりの美」と題しましてお送りさせていただきます。

<もじり>という言葉、もう今は、現代では死語に近いかと思いますんですが、私どもの伝統の社会では、よく何かをもじりましてこんな風にしましたと。元のものがありまして、それをちょっとひねった、今でいうアレンジでございましょうか、そういう感覚のものだと思いますが。実際のところ、歴史や実際のところはあまりよくわかりませんので、今日はそのお話をしていただきながら、皆さんと「もじりの美」というものを探ってまいりたいと思っております。

今回のゲストは、能狂言の研究家、文教大学の名誉教授でいらっしゃいます田口和夫先生です。では、ご紹介いたします。田口先生、どうぞよろしくお願いいたします。(登場)どうも今日はありがとうございます。田口先生でございます。

田口 皆様こんばんは。田口でございます。

花柳 座らせていただきます。(座る)
まず、田口先生と私のことなんですが、私が狂言を習っておりまして、その狂言の先生の野村萬先生、そこのお稽古場でご一緒に先生もお稽古をなさってるんですが、先生の方がずっと長く習ってらっしゃいますし、また萬先生が古い狂言からちょっと珍しいものをおつくりになるときに、台本から検討いたします。そういうことの推敲と申しますでしょうか、そういうもののことをいつも田口先生にお聞きになったりする、いわば萬先生の懐刀のような存在でいらっしゃいます。
どうぞ、今日は「もじりの美」ということで、お教えいただきたいと、お話いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

田口 私は萬先生の古い弟子でありまして、昭和二十九年からずっと弟子ということになっております。まだ萬先生が万之丞と言ってほんとに若かった頃からのつきあいでありまして、その中で花柳さんとも相弟子ということに相成りました。花柳さんと一番親しくなりましたのは、一昨年、萬先生を団長にいたしまして北京、上海へ、向こうの役者や演劇関係の方との交流を図る、ということで旅行をいたしましたときに、ずっとご一緒でありました。それから親しくお付き合いさせていただいています。
花柳 そんなような間柄でございます。
田口 ということで今日は「もじりの美」ということで、能と狂言の研究者として私をお招きいただいたわけです。
私は長い間、法政大学能楽研究所に勤めておりましたので、一応、能と狂言は専門ということになっております。

今日の<もじり>ということですが、それほどなじみの言葉とは申せないかもしれませんが、割と普通に使われていた言葉ではあります。演劇や芸能の関係、あるいはもっと広く絵画の関係やなんかでも<もじり>とかあるいは近世で言いますと<見立て>とか、あるいは<やつし>とかいうふうな言葉で言われている事柄がございます。私の関係している能・狂言ではもっぱら<もどき>という言葉で表現しておりますが、いずれにしろ、元にしっかりとしたものがありました。それをまねる、その表現をいただいて別の新しいものを作っていくということ、というふうな考え方の発想が<もじり>とか<もどき>とかそういうことなのであります。
今回の「もじりの美」というのも、そういう意味でいいますと能や狂言に使われている表現をこの踊りの中でどのように受け止めているか、ということが話題になりますので、そういう表題をおつけになったというふうに思います。

<もじり>といいますのは、今申し上げましたように、なにか視界にあるものをまねるというところからの発想ですが、これは日本文化の中でいえばもっと古く、たとえば花柳さんのご案内状にもありましたでしょうね、<本歌取り>という和歌の方で使われる技法、これも言ってみれば<もじり>のようなものです。元にあるしっかりとした歌があって、その歌の表現を使って自分の新しい歌の世界をどのように作るのか、ということが<本歌取り>の問題で、これは新古今和歌集の時代に一番盛んになった技法です。

たとえば百人一首の中に「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」これは新古今集の秋の下にあるのですが、良経の歌です。その歌は古今集の中に恋の歌として「さむしろに 衣かたしき 今宵もや われをまつらむ 宇治の橋姫」という歌がありまして、「さむしろ」と「ころもかたしく」という表現が共通しているわけです。ですから、新古今に出てくるこの歌を見る人は、当然その元になった古今集の歌の世界、そういうものを頭の中に置いといて、「あ、同じ表現だ。同じ表現だけどここが新しいな」と思いながら見ていたということがあるわけで、そのように元のものがもっと新しい世界に作り変えられる、そういうものが<本歌取り>の技法なわけです。
<もじり>というのもそういうふうなもので、元にあるものを使って新しいものを作り上げようというところにあるわけでございます。たとえば能と狂言の世界で言いますと、歌舞伎舞踊の中で大変有名な「身替座禅」というものがございます。

「身替座禅」は岡村柿紅が作りましたね。明治のときです。これが「花子」という狂言、これを使って作られた舞踊なんだということはよく知られていることなんですが、その「花子」、ちょうど萬先生にお稽古していただいてるところなんですがね、けっこう難しいんです。
この難しい狂言の「花子」というもは、実は「班女」という能をもじってるところがあるんです。狂言の「花子」というのは、洛外に住んでいる男のところへ便りが参りました。美濃の国野上ノ宿でなじんだ花子が今、都へ来ていてあなたに会いたい。しかし、そのわわしい女房がちっとも会わせてくれない。なんとか時間を作って会いたい、というところが発端となっているのですが、この発端になっている美濃野上ノ宿の花子というのは実は、能の班女のシテの名前なんです。シテの住所ならびに名前なんですね。

ですから、狂言の花子で野上の宿とくれば「あ、これは能の班女が下敷きになっているんだな」と、誰でも狂言を見る人は思うわけです。ということは、能の「班女」の世界が一つあって、そこの世界を下敷きにしながら今度新しく「花子」の世界が作り上げられる。その「花子」の世界を使って今度は舞踊の「身替座禅」が作られる、こういうふうに時代をこえて<もじり>また<もじり>というふうな連鎖反応が起きてくる。これが芸能の世界の面白いところであります。
たとえば「棒しばり」。これも舞踊にありますよね。これも岡村柿紅が作りました。明治のときです。その「棒しばり」は当然のことながら狂言の「棒しばり」が元になっております。狂言の「棒しばり」の中で、太郎冠者と次郎冠者がお酒を盗んで飲みまして、酒蔵の中でお酒を盗んで飲んでるんですが、そこへ主人が帰ってきて後ろから覗き込むと主人の影がその酒壷に写る、という場面があるんですね。そのときに「ああ、これは主人の執念が酒壷の中にきたんだろう」というわけで「主は一人、影は二つ、満つ汐の夜の車に主を載せて憂しとも思わぬ」・・・あとは流派によって違うんですが、汐路かなとか、うちのものかなとか謡うんですが、「主は一人影は二つ」というのは実は能の「松風」の中に出てくる文句をもじったものなんです。ですから、能の「松風」の「汐汲」の場面を使ってるんですが、能の「松風」というのはその元を正せば、猿楽と一緒にありました田楽というものの「能」。田楽能の「汐汲」を使って作られたのが、この「松風」。観阿弥作ともいい、それを世阿弥が改作したとも言うんですが、そういう時代があったわけです。

「汐汲」からそれがもじられて「松風」が作られ、その「松風」の一部分を使って「棒しばり」が作られ、その「棒しばり」が今度は歌舞伎舞踊になっていく、ここにもまた時代を超えて次々と続けられていく<本歌取り>みたいな世界があったんだ、というようなことになるわけです。

花柳 現代で言いますと、著作権とかそういうものが問題になっておりますけど、そういう意味で昔の人たちは、まず先行のものがあったものをいただくことに関してはおおらかであったわけですね。受け取るほうも、してもらう方も、今で言う著作権がどうのこうのとうるさいことではなくて、むしろそれがいいものだったから、いただくということでしょうか。
田口 <本歌取り>というのはそもそもそういうもので、元のものの価値を認めているから、それを使って新しいものを作ろうというそういう発想になるわけなのですね。
世阿弥もこう言ってますね。彼自身が作った作品で「元は誰の作品だけれども、いいところをとり、悪いところを直しているからこれは私の作だ」、というふうに世阿弥は自分で言っております。それが書き残されていますね。というふうなことが昔は文芸の世界では常識だったということになるわけです。

歌舞伎舞踊の中の多くのものが、能と狂言に素材を取ったものがある、というのはよく知られていることですが、小林責さんという方がこれを調べて、およそ八十曲あるんだと、能と狂言からとられた歌舞伎舞踊は八十曲あるというふうに言っておられます。横道萬里雄さんがそれを分類して能に関係するもの三十七、狂言に関係するものが四十三というふうに分類されている。ほとんど同じ数ですけどね。こういうふうになっていて、その中で江戸時代に作られているのはたった五曲です。それ以外は全部明治になってから作られている。

九代目の団十郎とか、菊五郎とか、そういう方々がおおいに能と狂言を使って新しい自分たちの境地、そういう守備範囲を広げようというふうになさったというのが明治の時代だった、というふうに考えられるわけです。

      (続く)

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