アイコン日本の音楽と舞踊の魅力を探る Vol.7

レクチュア「えんの美考」 その二

村尚也講師
村:私のお話をさせていただくコーナーだそうです。本当は20分ぐらいのつもりでおりましたら、今日来てみると40分と書いてありまして、ドキドキしています。その分、園喜輔氏に話をしてもらおうと思っていたのですが、うまく逃げられてしまいました。彼の方が話が上手ですね。「三曲糸の調」の話も、私に代わって全部説明してくれました。大変、勉強家でございます。
そうゆうわけで、今日の舞台、僕は初めて園喜輔氏とご一緒なんですが、とても楽しみにいたしておりました。先ほど申しましたように、園喜輔氏とは子供がとりもつ縁があるわけで、こうゆうのを要するに“袖すり合うも他生の縁”といいます。他生といいますと「ほか他の生まれ」と書きますが、前世、ぜんしょう前生ですね、ぜんしょう前生から縁があったのだといった言い方があります。

踊りの方では「縁の綱」なんて地唄舞がありまして、山村流などでは傘を持って舞いますが、傘、この1本の棒がパッと開きますと丸い輪になる。この傘を開くというのは、雪を除けるわけですね。その雪の冷たさが、まるであの人の冷たさのようだ、というような表現から始まっていきまして、船に揺られているような気持ち、これがもやいの綱のように、お互いにつながれていく縁の綱になれたらいいな、というような曲がございます。

「綱」といえばロープですね。私たちはついつい、縁というのは綱というより糸のような気がしますね。紅い糸で、小指と小指が結ばれていると。このようなイメージがあるわけですけれども、もともと縁というのには、因縁という言葉がございますね。原因があって結果がありますと、因果と申します。因縁と因果という言葉はひじょうに似ていると思われがちですが、実は微妙に違うんですね。
因果というのは原因があって結果があるわけですから、例えば悪い例でお話ししますと、物を盗みに入るとします。盗みに入るという原因があると、捕まるという結果があるわけですね。これは因果関係です。ところがこれが因縁ということになりますと、そこに家があるから入ったんだ、あるいはそこを通りかかった人がいたから、その人の懐からお金を盗んだんだ、という。ドロボーさんから言わせますと、そこに家がなかったら私は盗まなかった。そこに人が通らなければスリをしなかった。ま、ちょっと取ってつけたような理由ですが、こうゆうものを実は「縁」というんですね。要するに、原因が起きるための付属的な要因、原因を助けるようなものを「縁」といいます。

例えばさっきの紅い糸のことで申し上げれば、ある男女が出逢いまして、恋愛関係になって結婚するとします。例えば今日、皆様のお隣りに異性の方が座っているとします。この会があったから隣りに座ることになった。で、何となく感じがいいなと思われる。それが原因になりまして、結果、来年の春ぐらいには結ばれているかもしれませんね。ということは、例えば今日この会に来たから、あるいはこの会があったから、隣の席に座っているわけですね。それが縁なんですね。原因を助けるものなんです。というわけで、縁というのは原因の方にくっついている。ひじょうに近いところにあります。このようなものを因縁というわけです。
この紅い糸で申しますと、男女間の……。小指と小指というのはとてもイイですけど、親指じゃダメですね。太過ぎるからかもしれませんが、真ん中でもまずいですね。中指と中指がつながっていてもダメ。やはり、端っこで細い、細い感じがいいんでしょうね。この「端」が、縁というものを生み出す要因でもあります。

昔にはよく、おうちに縁側というものがございましたね。縁側というのは、ご自身のおうちから外に向かって開かれている場だったわけです。今はマンションのようにドアひとつで外の世界と区切られていますから、あまり外との交流がなくなっております。うちにも、縁側がちょっとありました。そこに、野菜などを売りにくるおばさんが座ったり、隣りのおば様がそこで世間話をして帰ったり。あるいは、ちょっとどうぞと言ってですね、いろんな方がそこに腰かけて、そして去っていったわけです。このようにそこはお互いの縁を結ぶところで、さらにそれ以上親しくなった方が、奥の座敷に上がってくるわけですね。でもそれ以上親しくない場合は、そこでお帰りいただく。このように、いわば内と外とが開かれた場所、お互いが通い合う場所としての縁側というものがあったわけですね。縁側は家の中では、一番端、すなわち縁(ふち)とも読むように、こちら側とあちら側の境界線位置にあるわけですネ。

ところが今、縁側という場所はまったくなくなってしまいました。そうですね、地方に行かないとなかなか見られませんね。今、人と人とがあまり信頼できない時代になっております。ドアでピシャリと、自分たちの生活を守る時代になっております。特に都会ではそうですね。そこのところは残念ですが、私たちの心だけは、もうひとつ、この縁側というものを持って、いつも誰かと心を開いていて、いつも自分の心の中に腰かけていただいて、そしてまた、時には仲良くなって深く入り込む、あるいはその場でさよならをしていく、そういった心の余裕、縁側ができればいいなと常々思っております。

今日はそういった「縁」とですね、つやっぽい「艶」ですね。それから怨恨の「怨」……これらすべて、僕には無縁な「えん」がテーマなんですね。今日は何だか、一番苦手な世界を担当することになっております。
色っぽい方の「艶」ですね、「豊かな色」と書くわけですが、この言葉はもう奈良朝、あるいは平安朝ころにはございまして、「艶情」とか「妖艶」という言葉をすでに清少納言や紫式部の時代に使っております。で、このころには明るいイメージがありまして、ひじょうに華やかな美しさというような意味にも使っております。今のように、男女の色気という意味とはちょっと違っていたようです。これが男女の色気と結びついていったのは近世、江戸時代に入ってからと考えてよろしいのではないでしょうか。そうしますと、豊かに色と書いて、色気とも通じるんですね。

さて、その色気ですが、学問的なお話ばかりをしていてもいけないので、舞踊に関連するお話をさせていただきます。色気といいますと、皆様方、どういったものを色気というか、どうしたら色気が出るのかといったことがよくありますが。色気というものは、先ほどの園喜輔氏の踊りを見ていても、非常に感じますね。特にどういったところに感じるかといいますと、こう斜めに体を切って反り身になりましたり、そうゆうところに感じます。だいたい、まっすぐに立っているところに色気はあまり感じないですね。斜めになって、片方の肩がこう落ちるから色気を感じるんですね。ひじょうによく肩が動き腰がしなり、ひじょうに美しい。私とは程遠い。尊敬してしまいます。

色気というのは、90%技術で出るものなんだということをお土産にしていただきたいと思っているんですが、園喜輔氏の芸を見ていただければわかりますね。要するに、まず斜めになると。例えば私たちが首を振る時に、「三つ振り」というのがあるんです。一、ニ、三と。こう首を振りますね。その時に、体の中心線を崩すと色気が出ますよ。例えば一、ニ、三(実演)。これを左右対称に振ってしまうと、色気が出ないですね。
例えば、こちら(客席)に女性がいらっしゃいます。パッとこう(正対して)見ると、
何にも感じませんね。それがこう(体を斜めにして流し目のポーズ)……(爆笑と拍手)。何で笑っていらっしゃるんですか……。何か感じていただけましたか。あ、ありがとうございます。別に私の親類じゃないんです。今初めて出逢った方なんですが。
なぜ私のような無粋な者でも、色気のない者でもこう感じていただけたかというと、私が自分の体の中心線をずらしたんですね。白目の中心にある黒目が片側に流れたんですね。要するに流し目ですね。今、病気で入院なさっている監督、あ、あれは長嶋ですね(笑)。要するに、黒目が中心から片方に流れた。こうすればいいわけです。
で、先ほどの肩を落とすのも、両方の肩が同じ高さにあるのを片方だけ落ちるからいいんですね。それから洋服でも、袖を片方あげておくと色気がありますし、足を組むと色気が出ますけど、まっすくこう立っていると色気がない。ネクタイでもちょっと緩んでいると色気がある。足もちょっと、こう(片方だけつま先を着け、かかとを上げる)……(笑)。ま、こんなふうに、スタンダードのラインからちょっとずらしていただけると、色気は出るものなんです。

「私は色気がない」という方がいらっしゃると思うんですが、今日お帰りになったらぜひとも実践なさっていただきたい。だいたい色気というものは、人間と人間のコミュニケーションをつくっていくものなんですね。で、色気がないと本当にいけない。例えばうまくいっていないご夫婦関係というものは、色気が乾いちゃってる(笑)。潤いがなくなっていますよ。なぜなくなっているかというと、ご主人と奥様が面と向かい過ぎる。ご主人が帰ってくると(正対して)、お帰りなさい。お風呂先にする? ご飯先にする?
どっちにする? 早く決めなさいよ。面と向かい過ぎると、こうなる。ですから今日お帰りになったら、こう体を斜めにして、お帰りなさい。お食事すんだ? ご主人の方もこう体を少し斜めにして、「ただ今」と帰ってくれば色っぽいんですけどね。そのへんの崩し方というのが夫婦関係の潤滑油となる。ですから色気というものは、この、ひとつズラしというのが必要だということになります。
この斜めの体の使い方というのは、日本舞踊にたくさんあるわけですが、怨念の怨の方も体を斜めに使うんですね。今日はあまり出しておりませんが、この後「都若衆万歳」で1カ所だけそうゆうところがありますね。

園喜輔の「都若衆万歳」
ひじょうに美しい仕草なのですが、後で探していただきたいのですが。実は怨念の怨では、例えば幽霊ですとかヤクザですとか、ちょっと考え方の遅れた方ですね。こういった方々の体の使い方が面白いですね。
例えばお化けですね。まさに怨念です。うらめしや……。どうしてこの姿が怖いかというと、左足と左手が同時に前に出ていて、首も左に倒しているからです。これが首が逆だと、ちっとも怖くない。足も逆にすると、もっと怖くない。全然、怖くないですね。
これを日本舞踊の世界では、「なんばん」あるいは「なんば」と申します。要するに、上半身と下半身同じ側が同時に出るという状況です。よく緊張した小学生。♪今日から楽しい1年生……。先生、おはようございます――こうゆう歩き方しますよね。あれは極度に緊張して、同じ側の手足が同時に出てしまうんですね。これを、日本舞踊では意識的によく使うんですよ。例えば強いやつ、弁慶の飛び六法。ハーッ!(実演)同時に同じ側の手と足が出ていますね。これが手と足が逆だと、ちっとも強くない。
何で日本舞踊や歌舞伎ではこうゆうことが取り入れられたかというと、ふだんの生活でもそうですね。力強くお餅をつく時は、こうやってつく。右足が出て右手を前にしてつく、これが逆になりますと……(笑)。相手を殴る時もこう(右手と左足を出す)じゃなく、こう(右手と右足を出す)やるから強いんですね。(右手人差し指と右足を出す)おい、君! とやるから強く感じる。(右手人差し指と左足を出す)おい、君、じゃダメなんですね。ですから自分を強く表現する時には、なんばんとかなんばを使っていかなくてはいけないですね。日常より強い表現をしようとして、なんばんを使う。ですから怨念もそうゆうわけで、このようにいつもより強い気持ちを出そうとするために、幽霊のようになんばんを使う。こういたしますと、その気持ちがよく出る。
今晩、帰ってやることは、(色っぽく)ただ今。これですよ。こっち(幽霊)じゃないですよ。同じ斜めでも使い分け。使い分けはひじょうに必要不可欠な問題ですから、お気をつけください。


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